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『黒再現』こだわった『ドルビーシネマ』。
あるいは、「黒」が魅せたシャイニングの続編「ドクター スリープ」の『映像美』


11月にキューブリック監督のホラー映画「シャイニング」の続編「ドクター スリープ」の『ドルビー・シネマ版』で見る機会がありました。そこで見たのは、余りにも繊細で、美しい映像。それを可能にしたのは、徹底した「黒」へのこだわりでした。
 

展示してあった双子の人形。
「シャイニング」のアイコンの一つ。


 
■古典になったモダンホラーの傑作「シャイニング」
映画が出来てから100年以上。「古典」と言われる分野ができています。
アメリカだけで3000本/年封切られており、インドとトルコも同数作られています。つまり、1年で万を超える映画が上市されているわけですから、これにヨーロッパ、中国、メキシコ、日本などを足しますと、100年で軽く100万本オーバー。その中で、今観ても「スゴい!」と言わせる名画は、古典と呼ばれます。

ホラー映画も例外でありません。が、ちょっとニュアンスが違います。
「魔人ドラキュラ」「フランケンシュタイン」のユニバーサル・モンスターなどは古典中の古典と言ってもいいでしょう。しかし、一つヒットすると、モンスターさえ出して置けばと言うことで亜流の映画が、ガンガン作られます。いつの間にか、ホラー映画は駄作の山。

これを見事に打破、ニュートラルに戻したのが「ゾンビ」で有名なロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」。初めてのゾンビ映画としても有名ですが、無名の俳優、安い制作費でのヒットを飛ばしたことでも有名です。

ゾンビ自体は吸血鬼の延長線上のモンスターです。ここでのポイントは、死体なので誰でもできること。無名の役者、役者志望の素人、誰でもOK。その上、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」は手持ち撮影。実にリアルなドキュメンタリーとしても成立しています。以降、ホラーは新人監督、新人俳優の登竜門と言われるようになります。なんせ、制作費が安く、そこそこの当たりが取れるので、ビジネス的な危険が少ないからです。しかし、ロメロ監督の「ゾンビ」を超える、人間を鋭く描き、寓話としてまで昇華させた作品も出てきていないのも事実です。(匹敵する作品は幾つかあります。)

 
そのホラー映画の中の異色作が、「シャイニング」です。
原作はモダンホラーの巨匠、スティーブン・キング。かなりの数の作品が映画化されており、ご存じの方も多いと思います。ここまではよくある話です。

監督は名匠、スタンリー・キューブリック。その映像美、リアルさは比類なく、都市伝説で、アポロ11号は、実際のところ月面着陸していなく、世界に配信された映像は、キューブリックが撮ったと言われた程、自分の画にこだわりを持つ監督です。

主演はシャック・ニコルソン。性格俳優として天才的な演技力の人ですが、分かりやすい説明としては、ティム・バートン監督の「バットマン」でジョーカーの大役を演じきった俳優とするのが、最も適切でしょう。

「原作」「監督」「俳優」と、グレートな面々が揃ったわけです。当然、傑作が撮れました。

脅迫観念的なまでのシンメトリーな映像、また当時最新だったステディカム(手ぶれ防止機能付きカメラ)で撮った粘着的な、滑らかな映像、心臓の鼓動も取り入れた音楽、そしてジャック・ニコルソンの狂気に囚われた演技、女優、シェリー・デュヴァルの追い詰められた演技(キューブリック監督のリテイクが際限ないので本当に心理的に恐怖していたそうです。)、等々、これでもかと言うほど、映画としての魅力に溢れています。

が、この映画を認めなかった人もいます。原作者のキングです。キューブリックの映画は暗喩が多く、「エンターテイメント映画を上手く撮る監督か?」と問われると、少し考えてしまうところがあります。観客目線より自分目線を大切にする監督です。勧善懲悪、すかっとしたね、面白かったね、という映画は撮りません。どちらかと言うと、あそこのシーンはどんな意味なのか、喧々諤々討論したくなるような作品を撮る人です。それが、シャイニングの前の作品「バリー・リンドン」が興行的に当たらなかったために、背水の陣で臨んだのが「シャイニング」。単純に言うと、確実にヒットする映画を作らなければ、ならなかったわけです。

このためでしょうか、原作と映画はかなり違います。多分、分かりやすく、画的に見せるために、原作を変えたのだと思いますが、故人は口を開かず。真相は分かりません。実際、映画版のシャイニングは、タイトルが「シャイニング」でなくても成立する出来になっています。

自分の作品をひん曲げられたため激怒したのは、原作者。まぁ当然ですね。以降、キングの肝いりでシャイニングのリメイクがされますが、映画の巨匠の壁は高く、全く及びません。ちなみに、ジャック・ニコルソンのキャスティングにも反対したとか。彼の場合、原作に深く入り込むことにより、原作より興味を引かれるキャラを作ってしまいますからね。

このため、映画版「シャイニング」、原作者作成版「シャイニング」、2つの作品が存在することになったわけです。しかも映画版は、謎を残しつつ。

「ドクター スリープ」のチラシ。
続編らしく、シャイニングへのオマージュが窺える。


 
■映画「ドクター スリープ」は、2つの傑作をフュージョン(融合)させたもの
そして、続編「ドクター スリープ」です。シャイニングを持つ、当時子どもだったジャック・トラビスの息子、ダニー・トラビスが大人になってからの物語です。子ども時代のひどいトラウマと戦う話です。原作者はキング自身。当然、原作版「シャイニング」の正統な続編です。書いたのは2013年。その年のブラム・ストーカー賞(ブラム・ストーカーは「吸血鬼ドラキュラ」の原作者。小説の「芥川賞」みたいなもの)を取っています。

そして6年後。満を持して映画化されました。
監督はマイク・フラナガン。ホラー映画好きな人だとご存じかも知れません。2017年にもキング原作の「ジェラルドのゲーム」の監督を務めています。

マイク・フラナガン監督は、原作「ドクター スリープ」を読んで、こう考えたと言います。「僕の中には、キングの小説を忠実な形で映画化すべきと強い思いがある。」「それと同時に、キューブリックの映画版を崇拝する気持ちもある。この作品に取り組み始めた当初、自分の中のそのふたつの思いがぶつかり合っていた。でも、その両方を満足させようとする中で、自分のためにそれをうまくやれたら、観客にも満足してもらえる作品になるんじゃないかと考えたんだ」

映画「ドクター スリープ」の特長は、映画の教科書があったら載せたいほど、オーソドックスながら丁重な作り。元々映画は、後々のために、いろいろな伏線をさりげなく散りばめるモノですが、それが実に上手い。その上、前作へのオマージュだけでなく、今までのホラー映画(「ゾンビ」系の映画ですね)へのオマージュも随所に散りばめられているように感じられました。それがほとんどわざとらしさを感じさせないのですから、大した腕前です。原作、前作、両巨匠への一方ならぬ敬愛が窺えます。また、音楽も前作に敬意を払っていますね。冒頭はは実際、前作の冒頭を思い出させるよう作られています。

この心づくしの監督術に、キングもその仕上がりには大満足だったとか。

 

チラシ裏面。
映画特有の惹句(煽り文句)に溢れる。


 
■お勧め、禁「スターウォーズ鑑賞」
 
今回の主役、成長したダニーを務めるのは、ユアン・マクレガー。スター・ウォーズのオビ・ワン=ケノービー役で知られる役者さんです。しかも、今回のダニーは、ヒゲを伸ばした状態で登場します。ますます「オビ・ワン=ケノービー」に見えます。少なくとも「スリーピング・ドクター」を観る前、1ヶ月は「禁スター・ウォーズ鑑賞」をお勧めしたいです。

また、前作の「シャイニング」の怖さの大きな要素は「ショック」でした。このショックの盛り上げ方が、理性を狂わす映像と音楽と、ニコルソンの演技に支えられてたわけです。

しかし、続編で大きく違うのは、トニーが逃げるのではなく、トラウマを抱えながらも立ち向かう(戦う)ことです。漫画でいうバトル要素が入ると、怖さの質が変わります。典型的な例が「ターミネーター」ですね。主人公2人が、ひたすら逃げ惑う「ターミネーター」はSFホラーです。ところが「ターミネーター2」では、ターミネーター同視の戦いを描いています。戦いは観ている方も興奮状態になるので怖さを受け付けにくくなります。ホラーとしては、弱くなるわけです。

映画「ドクター スリープ」は再見、再々見に耐えうる出来の映画なのですが、怖さ的には、キューブリック版に足らないかも知れません。

が、上映が終わった時、期せずして観客から拍手が出ました。私も、そんな気分でした。見応え十分のイイ映画と言うことは保証できます。

 
■ドルビーシネマ版は、10〜20%レベルアップ
 
今回、私は「スリーピング・ドクター」を、通常版、ドルビーシネマ版を双方観させてもらいました。

結論から言うと、ドルビーシネマは「理想の上映環境」であり、全てのホームシアターの規範になりえます。AVに興味ある人なら、絶対ここでの鑑賞を進めたいですし、ホームシアターをお持ちの人は、自分のホームシアターと比べて欲しいと思います。

ドルビーシネマは、長い人生 観てきたシアターの中で最もよかった劇場です。言うなれば、「理想の」シアターです。

AVのいろはのいは、色を決めることです。このため「黒」をきちんと再現することが基本中基本になります。昨今、液晶テレビ優勢のため、言われなくなりまいたが、元来、液晶テレビは黒の時でも、光が混じるため、色からするとイマイチです。やけに明るいのです。これだと、ホラー、SFなど、陰翳を上手く使った画は魅力が落ちます。

 

丸の内ピカデリーのスクリーン側。
どんな瞬間も、このスクリーンが意識されたいほど、黒の出し方が上手い。


 
これは映画館でも同じこと。どこからともなく漏れ出す光も含め、余分な感興を削ぎます。いわゆる「没入感」がなくなるわけです。その点、ホームシアターはそれを自分の納得行くレベルまで(お金が許す限りという条件も加わりますが)、追求できるされてきるので、映画館よりイイ映画館を、自宅に持つという極めて贅沢な趣味でした。

「でした」と過去形にしたのは、ドルビーシネマが、それを映画館で実現してしまったからです。劇場は、ほぼ「黒一色」。サイド照明は、ブルーLED。AVファンだと、米マッキントッシュのアンプをイメージしてもらえればいいです。あのアンプに包まれる感じなのです。アンプの黒は光沢がありますが、ドルビーシネマは反射を考慮してほぼマット調。照明が落ちると、漆黒の闇が拡がります。しかもスクリーンはあるのだが、まったく存在が感じられません。基本の黒がきちんと描写できるドルビーシネマの映像描写は、限りなく繊細です。

 

椅子は黒の合成革。反射しにくいマット仕上げ。


 
よく、量販店などでは4K、8Kテレビでメーカーが作るデモ映像が流されています。これはものすごくお金がかかった映像です。テレビ番組など足下にも及びません。単純に言うと、それに張り合える位、レベルで映画の映像がキレイです。「ドクター スリープ」は、明るい日差しのフロリダ。トウモロコシ畑のアイオワ。そして、惨劇のあった展望ホテルがあるコロラドを、それぞれ春、秋、冬に割り振っています。実に美しく、陰翳に富んだシーンが、随所に散りばめられています。それらが実にキレイなのです。映画は光のマジックですが、ドルビーシネマはその再現性が抜群なのです。

 

劇場内後方。「黒再現」のためにお金がかかっていることが分かる。


 
特に差が激しいのは、暗い箇所ですね。細部描写の締まりが全く違いますので。特に、黒バックの中、白文字が上へと移動していくエンドロールは全く別物に見えます。かたや、漆黒の中、文字だけが移動していくのに対し、かたや濃いグレーで輪かくも露わなスクリーン上を字が移動するのですから、誰の目にも差は分かります。本当に「まったく別物!」です。よくテレビは「臨場感」重視と言われるが、基本の「黒」を徹底しなければ、真の臨場感を得ることができないことが伝わって来ます。

さらに音もイイです。ホラーの場合、画より音の方が重要ようです。それは、音の方が無限にイメージが拡がるからです。(正体が見えない方が怖いですよね。)特に、ドルビーシネマは、ドルビーアトモスをを使っていますから、定位がビシッと決まります。また、低音もものすごく、足が振動で震えます。通常版は、音も甘く濁ります。そうなると、違和感がある音が聞き取りにくくなります。つまり怖さを見逃すわけです。そう考えると、作成側の意図を完全には反映していないことになります。

映画はある意味、再生総合芸術です。ところが、今まで規範となるレベルの再生機は映画館側は持っていませんでした。しかし、ドルビーシネマの導入により、今までと一線を画します。まさに模範解答が出てきた感じなのです。

ちなみに、強引に点数を付けると、ドルビーシネマが100なら、普通の上映は、80〜85です。お金を取ることができるレベルなのですが、それ以上のものではないのです。それほどまでに、スゴいシステムです。

公式な形で「映像再生」の規範が示された意味でも大きく評価できます。

 
映画はエンターティメント。楽しみながら、そのスゴさを堪能してみてください。

 
詳しい情報は、ドルビーシネマのホームページにてご確認ください。
https://www.smt-cinema.com/dolby/index.html
 

 
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2019年12月12日

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