思うこと

スタイリスト 伊藤まさこさんの感覚


ミーレのイベントで、スタイリスト 伊藤まさこさんのお話を聞く機会がありました。
彼女はミーレの掃除機を20年位使っているそうなのですが、フムフムと言わざるを得ないような理由で使われています。
ある意味、今の日本メーカーが躓いている部分を指摘していると言ってもいいと思います。
■「使ったら気持ちがイイだろうなぁ」という気分

スタイリスト 伊藤まさこ女史。


伊藤さんは、前評判を聞いて買うタイプではなく、必要なモノを、必要な時に、店頭でチェックして買うタイプだそうです。
要するに、流行を目くじらを立てて追うタイプではない人です。

 

最新のミーレ掃除機。変わらない定番デザイン。
所有機は、もう少しオレンジが強い色だとのこと。


その人が見たミーレの掃除機の第一印象は、「ミツバチっぽくて可愛い。」
ややお尻の大きい、この昆虫は、デザインモチーフとしてかなり人気が高く、有名どころではイタリアのスクーターのベスパが採用しています。意図してではないと思いますが、お尻が大きいミツバチ系のデザインは、チョコマカ動くモノに採用されている場合が多いですね。
『元気』をデザインで表すと、そうなるのかも知れません。

で、伊藤さんが次に思ったのは、「気持ちがいいだろうなぁ」ということです。

 
マーケティングとかでは、久しぶりに聞いた言葉ですね。

メーカーの発表会では、マーケティングの数値が羅列されます。
「重いからイヤ」「大きいからイヤ」から始まって、仕舞いには「サイクロン以外は掃除機でない」など、わけが分からない物言いまで出てきます。

デザインを言う時でも、これが「流行色」「流行のデザイン」と話します。
「それって、創造ではなくて、真似ッ子じゃない?」と思うこともしばしば。
80年代の日本が、オリジナルな家電デザインを意識し始めた時なら兎も角、それから30年以上。
メーカー毎の特長が出ていても可笑しくない時期に差し掛かっているはずですが、そうはなっていませんね。

箸にも棒にもかからない低品質品は置いておくとして、今の世の中、80点以上の製品で溢れています。
となると、「後は、好みでしょう」と言っても可笑しくないわけです。
つまり「気持ちがいいデザイン」の客観的な評価をもっと進めるべきです。

 
それはさておき、伊藤さんが、ミーレの掃除機で魅力だと思っている点も面白かったです。
「使っている時の音が、安っぽくない。掃除をしている感じがする。
面白いと書きましたが、これは重要です。

人間は五感を使って、世の中を感知、行動します。
その中の聴覚が「イイ」と言っているのですから。しかも見た目(視覚)は買う時にOKを出しているわけです。
斯くして、伊藤さんは、20年同じ掃除機を使い続けているわけです。
(20年壊れないのもミーレらしいですが・・・)

 
■「日本車は息苦しい」という気分
その逆もまた真なり。
彼女は、日本車をレンタルし使うと、息苦しくなると言います。
どうでもイイと思えるところまで、自動に次ぐ、自動化。
斯くして、過剰な「お・も・て・な・し」状態。
よーく、分かります。

クルマは馬車から発達したのですが、日本は駕籠、人力からの発達と見た方がベター。
つまり、従者(小者)を連れている感覚。この従者がどれほど気が利くのかを争っている感じの機能が何と多いことか!

私も、日本車に乗り始めた時、全く馴染めませんでした。
シートベルトで口やかましく言われ、半ドアで口やかましく言われ、あげくの果て、ナビには、「近くまで来ました・・・」で案内を打ち切られ・・・。

それまで乗っていたプジョーは、ゴムパーツは寸足らず、曲がっているところもあったり、夏はクーラーが故障なんてよくありました。が、極端には速くなかったですが、思い通りに走ることに掛けては、素晴らしかった。
悪い所は癖の様なモノでした。

が、今の日本車は、運転しているというより、させられている感じ。
お金を出してまで欲しいとは思えないクルマが多い。
若者離れが進んでいると言いますが、そう言うことなのではと思います。

 
■「全員に合うモノはない」ということ
伊藤さんは、次に、言ったのは、「全員に合うモノはない」ということでした。

私もそうですが、よく他のメディアの方から、「今一番イイモノを勧めてください」というお題が出ます。
私はこれが余り好きではありません。
この世に「誰もが好き」なんてモノはないからです。

それなのに、日本のメーカーは、詰め込めるだけの技術を詰め込みます。
他社にあって、自社にない機能で、売りに差が付くと責任問題になるからです。
このため、できる限り機能を入れ込みます。
これを推し進めていくと、A社、B社で性能がそっくりなモノが出来上がるのです。
少なくともカタログ・スペック上はです。

日本の製品は確かによく出来ています。
が、魅力的かと問われれば、どうでしょうか?
その点、海外製品は、自分たちの製品は、「こうであるべきだ。」となります。

例えば、ダイソンの掃除機。
デザイン、特に色使いは独特です。もっと目立たなくすることも可能です。
少なくとも100%支持されるわけではありません。
しかし、それだからこそダイソンなのです。

ミーレの掃除機も同じですね。
ただダイソンと違うのは、設計想定年数が、こちらは20年ですから。
ダイソンまで独特ではないですが、しかし癖があります。
ハマると抜けられない感じです。

 
■「主体はモノではなく自分」であるということ
伊藤さんは、生活関連のモノは自分で作れるモノは、自分で作るそうです。
また、譲れないモノはお金を貯めてでも買うそうです。
欲しい器などはそうして集めたそうです。

これは「とりあえず」がないということを意味します。
そして、自分が分かっていることを意味します。

自分の人生、自分の生活は、自分で設計するわけですが、主体が自分ではない人も多いです。
それが自分のやり方ならイイのですが、違和感を覚えている人もいらっしゃるのではないでしょうか?

性能は兎も角、デザインは見たら自分の好みか、どうかが分かります。
重要なのは、そこで妥協しないこと。

 
■「生活を受け継ぐ」ということ
知らず知らずの内に、親から受け継いでいる生活感もあると思います。
食事の時の器の使いからもそうですし、タオルの折り方、並べ方も、気付くと実家と同じという人は多くないでしょうか?

しかし、日本では家電を受け継ぐ人はまずいませんが、ドイツで、ミーレともなると話が違いますね。
自分が使っていたモノを贈ることがあるそうです。
ミーレの家電は、ほとんどがビルトインですから、実家の機能の一部を譲ってくれる感覚に近いかも知れません。

昔の道具は、今と違って「当たり」が付くまで使い難いモノも多かったですからね。
実家で、皆が使ってきたモノは、当たりも付いているし、こなれているので使いやすいのです。映画「魔女の宅急便」で、キキの旅立ちの時、母親が自分のホウキを渡し、「持って行きなさい。慣れているから、ちょっとや、そっとでは吃驚しないわよ。」と言うが如しです。

それと共に、その人の生活感覚が入ってくるわけです。
そう考えると、新製品=イイという図式ではありません。

ミーレの最新型の食器洗い機。
20年後もキチンと動き続けることを考慮して設計されている。


 
■商品設計方法、訴求方法を見直すべき時ではないのか?
日本のメーカーは、どうしても八方美人的な家電になりがちです。
理由は、2つですね。
1つは、ユーザーの絞り込みをしないこと。
もう1つは、いろいろな要素を言葉でなく、数値で表すためです。

本当に、10%のユーザーに合わせた商品というのは、ないのだろうか?

今、日本ではいろいろなメーカーが、いろいろな危機に立っています。
西のS社、東のT社などは代表ですね。
何故こうなったのかは、事業の重みの計り間違いということが大きな理由ですが、一つには製品に特長がないことが挙げられます。

例えば液晶テレビ。
確かに、自前の工場を国内に持つ自社ライン生産。品質はイイのでしょうが、「だからどうした!」とも言えます。
「人の生死に関わるモノじゃあるまいし」と言われれば、その通りです。
ユーザーのための商品とイイながら、メーカーの都合を思い切り盛り込んでいるだけではないでしょうか?

しかし、ここは10%の人しか支持しないけど、10%の人は必ず支持するという考えに立って見てはどうでしょうか?
グッと絞り込んだ商品になります。
その方がメーカー毎の思想が明確になってくると思います。
そしてメーカーは、それを素直に伝えることが重要だと思います。

 
今の新製品発表は、新しい追加機能を、鬼の首を取った様に強調します。
このため、基本性能の訴求が粗末にされがちとも言えます。
確かに、日本の店頭では新製品が幅を効かせます。店頭に置いてもらうためにも、新しい要素は重要です。
しかし、そのために、余りにも歪な訴求になってはいないでしょうか?

 
家電を始めた当初、メーカーはそうではなかったはず。
より豊かな生活を求めて、自分にできることを提案していったはずです。
そこには、世界一などという奢りではなく、願いがあった様に思います。

今、メーカーに、特に日本メーカーに散見されるのは、「データーがあるから間違えない」という考えではなく、人を勉強し直し、その上で、人に役立つモノを再構築することではないかと思います。

 
以上 伊藤まさこさんの話を聴きながら、思ったことでした。

2017年3月21日

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