ソニーを思う
@It’s a SONY展から
「そんなにもあなたはレモンを待つてゐた」
高村光太郎が、智恵子に捧げた「智恵子抄」を代表するレモン哀歌の第一文です。
ソニーという世に稀な製品を出してきた日本のメーカーを思う時、「レモン」を「ソニー」に変えて、私の胸をよぎる一文でもあります。
今、東京銀座のソニービル立て替えに伴い行われている “It’s a SONY展”。それをレポートしながら、思うことをつづってみたいと思う。
■世のため、人のため 〜会社趣意書から
燦然たる過去を持つソニー。
現在も、有数の日本メーカーですが、創業者の井深、盛田 両氏が存命だった時代の輝きはスゴいモノがありました。
特に、スゴいのは、技術へかける情熱です。
それの気持ちがストレートに伝わってくる、創業当時に書かれた設立趣意書。
その井深氏の直筆版が飾られています。
社名はソニーではなく、東京通信工業。
その中から、目的と経営方針を抜き書きしておきます。
創業当時のひたむきな思いが伝わって来ます。
「初心忘るべからず。」とは、世阿弥が自分自身に言いきかせた言葉ですが、それは全員に言えることだと思います。
●会社設立の目的 一、真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設
一、日本再建、文化向上に対する技術面、生産面よりの活発なる活動
一、戦時中、各方面に非常に進歩したる技術の国民生活内への即事応用
一、諸大学、研究所等の研究成果のうち、最も国民生活に応用価値を有する優秀なるものの迅速なる製品、商品化
一、無線通信機類の日常生活への浸透化、並びに家庭電化の促進
一、戦災通信網の復旧作業に対する積極的参加、並びに必要なる技術の提供
一、新時代にふさわしき優秀ラヂオセットの製作・普及、並びにラヂオサービスの徹底化
一、国民科学知識の実際的啓蒙活動
●経営方針 一、不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、いたずらに規模の大を追わず
一、経営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の大経営なるがために進み得ざる分野に、技術の進路と経営活動を期する
一、極力製品の選択に努め、技術上の困難はむしろこれを歓迎、量の多少に関せず最も社会的に利用度の高い高級技術製品を対象とす。また、単に電気、機械等の形式的分類は避け、その両者を統合せるがごとき、他社の追随を絶対許さざる境地に独自なる製品化を行う
一、技術界・業界に多くの知己(ちき)関係と、絶大なる信用を有するわが社の特長を最高度に活用。以(もっ)て大資本に充分匹敵するに足る生産活動、販路の開拓、資材の獲得等を相互扶助的に行う
一、従来の下請工場を独立自主的経営の方向へ指導・育成し、相互扶助の陣営の拡大強化を図る
一、従業員は厳選されたる、かなり小員数をもって構成し、形式的職階制を避け、一切の秩序を実力本位、人格主義の上に置き個人の技能を最大限に発揮せしむ
一、会社の余剰利益は、適切なる方法をもって全従業員に配分、また生活安定の道も実質的面より充分考慮・援助し、会社の仕事すなわち自己の仕事の観念を徹底せしむ。
■肩で風切るラジオ
ソニーと言えばトランジスターラジオ。
日本で初めてトランジスターの量産に成功。TR-55を世に出します。
日本は言うに及ばす、世界中から引っ張りだこの製品。
また、その時、ソニー(当時の名称は東京通信工業)の主任研究員の江崎玲於奈氏は、固体におけるトンネル効果を実証する現象を発見、それを応用したエサキダイオードを発明、1973年にノーベル物理学賞を受賞します。
ノーベル賞を取るレベルの研究者を要していたわけで、技術を耐セルに考えていた会社らしいエピソードです。
この時期の商品は、今見ても迫力がありますね。
流麗さ、洗練さはないのですが、強い存在感があります。
自分に自信があり、肩で風を切る感じと言えば、いいでしょうかね。
この時代の製品は人気が高く、中古でも高値が付きます。
■放送局も御用達のテープレコーダー
テープレコーダーも、ずっと手がけてきました。代表的なものを。
■半端モンが世界を席巻
この後、ホームビデオ、4CHオーディオ、カセットテープ、Lカセット、CDと新しい技術に満ちた提案をして行くのですが、やはり万人を唸らせたのが、ウォークマンです。
録音機能があるのが当たり前、スピーカーがあるのが当たり前の時代、不要とばかりに、排除します。
録音&再生ではなく、ヘッドフォンのみだけで聴くことができる再生機を作ったわけです。
その当時は、かなり半端な仕様でしたが、いつでも、どこでも、他人に迷惑をかけずに音楽を楽しめるとして世界中で大ヒットします。
ウォークマンは適切な価格も魅力的でしたが、音がかなり良かったですね。
小さくするために音の調整をする回路を全部省いたこと。ヘッドフォンを使ったこと、が功を奏したのでしょうね。
もったいぶらすに、ストレートな音でした。(今、思うとチャチいですが・・・)
真のヒットは、ウォークマンIIから。
手のひらサイズ。
大学1年の頃でしたね。
学校で話題になったのは、もう修理ができないということでした。
が、バブル差し掛かりの時代ですからね。
その時代であったこと。また、あれだけの商品力がなければ、総スカンされたかも知れません。
■スタイル(デザイン)と技術の融合、ソニースタイルの確立
音楽は、人の数だけ好みがあります。
人の数だけ、違う格好良さがあります。
このため、音楽は、多種多様なデザインがあった方がイイ。
このニーズを受けたためでしょうかね。
ウォークマンは、多デザイン化を行います。
このため、冒険的なデザインも出すことができます。
これが、カッコよさを導きます。
ただしあくまでも工業デザイン。
アート的に付けましたという部分はありません。
その間にも技術を磨きます。
方向性の第一は、「短・小・軽・薄」。
より単純に言うと小型化です。
この2つが合わさり、ソニーのイメージが固まります。
「小型」
「高性能」
「カッコイイ」
です。
パスポートサイズの8mmムービーなどは典型例でしょうね。
■誇り高き、孤高のβ
いろいろな所で、トップに君臨したソニーですが、ホームビデオだけは違いました。
世に言う「VHS」「β」のフォーマット戦争です。
ビジネス史に残る激烈な争いを制したのは、VHS。
VHSの3倍モード(120分のテープで360分の録画ができるモード。記録面積を1/3しか使っていなく、デジタル画像処理ができなかった当時、はっきり意って汚かった)に対し、βは2倍モードしかできなかったのが勝敗の分かれ目だと言われています。
できなかったと書きましたが、多分しなかったのが正解だと思います。
要するに、高画質を取ったわけです。
この最終的な差は、「画質にどこまでこだわるのか?」と言うことを捨てられなかったと見た方がイイです。
品質を落とすというのは、技術で勝負してきたソニーにとって、できなかったのではないかと思います。
■色あせた高級感
俄然、製品の雰囲気が違ってくるのは、1994年以降です。
当時出したのは、プレイステーション。
任天堂のNINTENDO 64、セガのセガサターン、とデッドヒートを繰り広げたモデルです。
懐かしいのですが、今見ると、こんなにチャチかったかなぁと思う人も多いと思います。
ゲーム機ですから、大人より子ども目線ですからね。
ゲーム機の分野に、高級機はありません。
ユーザーもゲームをしたいから買うのであり、そのゲームのベースがたまたま、任天堂だったり、ソニーだったりするだけで、オーディオの様に、機器に惚れたというのではありません。
それまでソニーの格好良さは、高品品質感が支えてきたのですが、私はこれ以降、それが薄くなった様に感じます。
■意味のないデザインは早く腐る
その上の階の展示に、QUALIA(クオリア)がありました。
2003年〜 2年間しか続かなかった、ソニーの高級AVブランドです。
当時、「極限まで造りに拘った」高級品との触れ込みでしたが、聞いて驚け、見て笑え、ガッカリした記憶があります。
今回見て見ると、まず、デザインがデザインのためのデザインになっています。
別の言い方をすると、格好良く見せるための媚びたデザイン。
それでも1950年代のアメ車の様な迫力があれば、まだイイのですが・・・。
ソニーも失敗に終わったと評してますが、それも可笑しい話。
本当に高い価格で、クオリアを買ってくれたお客様は、ソニーに取って重要なお客様であったはず。
しかし、そのブランドを2年で止めるとは・・・。
特に高級オーディオは、最低でも5年、永い人は生涯使います。
そのために高いお金を出すわけです。
2年で終わりって何と思います。
同じようなことが、シャープの1Bitアンプでありました。
こちらは、ピュアオーディオを再開後、7年位で手を引きました。
だめなビジネスはさっさと止めるのが鉄則ですが
それにしても・・・。
■続かない製品
さて、次の商品は、アイボ。
こちらもユニークな商品ですが続けられませんでした。
こちらも三代で終わり。
二代目までの、新しい分野を作るという誇らしげな雰囲気から、いきなり、玩具じみたデザインになり終わりました。
■製品が面白くなくなったソニー
プレイステーション以降のソニー製品。
デジタルカメラを除き、段々面白くなくなりました。
正直、昔あったワクワク感が感じられません。
今や、骨董品と言ってもイイ、ラジオなどが発している存在感がないのです。
薄型テレビ、ブルーレイ。
AVは一級品と言われながらも、ある意味、他の製品を圧倒するモノはありません。
別メーカーでも代用できます。
■CMOSはNO.1でも・・・・
今、ソニーを支えているモノの一つに、CMOSがあります。
自動運転のための「眼」として注目されており、トヨタなどからも熱い視線を受けているとか。
昔、トランジスー、今、CMOSと言ってもいいです。
が、僕たちのソニーは、パーツ屋ではなく、最終商品も作るメーカーであったはず・・・。
そこが何とも言えず、寂しいのです。
■何故そうなった!?
何故、ソニーが今の様になったかを考える時、1つのポイントがあると思います。
創業者の存在です。
ソニーの場合は、井深氏、盛田氏。
彼らの想いは、冒頭の趣意書に書かれています。
小さくても技術追求型の会社を理想としていました。
が、今や大企業。
AVから始まり、デジカメ、ゲーム機、はては、映画、銀行に保険もあります。
しかし本業のAV分野はパッとしません。
上の様に、1994年以降、イマイチです。
実は、この前の年、盛田氏は会長から引退しているのです。
多分、ここからどちらかというと、ビジネス重視で来たのではと思います。
多分野で成功し続けるのは、とても大変です。
特に、その分野のリーダー足るためには、膨大な研究、開発費をかけ続ける必要があります。
この費用、実は膨大です。
研究、開発を止めた瞬間、黒字化した例は枚挙に暇がありません。
しかし、その技術はそこまでなのですね。
当然、あっと言う間に、他社に追い越されます。
その上、基礎技術から積み重ねた会社が強いのですが、基礎研究は、いつ芽が出るとも知れないものです。
ソニーは盛田氏引退後、カンパニー制を取り、1999年に中央研究所を解体します。
そのニュースを聞いた時、私が思ったのは、新しいモノを出せるのかなぁと言うことでした。
時代が違うと言わればそうですが、私は、ソニーにいつまでも製品で勝負する会社であって欲しかった。
CMOSというパーツではなく、人の手に渡る商品で勝負する会社であって欲しかった。
多分、多くの人が、その様なソニーを待っているように、私は思うのです。
これ、実はソニーだけの話ではありません。
B to Bで儲けますと宣言した会社に共通することでもあります。
今回の”It’a SONY展”、いろいろな人がいろいろな感想を持つと思います。
是非、あなたも感じてみてください。
2017年2月4日
タグ: ソニー