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私の愛した四谷怪談 序夜
四大幽霊話、ご存じですか?


怪談が好きです。謎が好きだからもありますが、人間の強い想いの怪異が好きだからかも知れません。
しかし、個人的なことは置いておくとしても、日本人の心を捉えて放さないのは、お岩さんの「四谷怪談」。その話を酒のツマミにした所、大受けしました。
夏なので、数回にわけて、四谷怪談のお話をしてみたいと思います。
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北斎の描くお岩。
歌舞伎でお岩の提灯ヌケは名シーンだが・・・。


■日本幽霊話の最高峰

日本には大きく、3つの怪異があります。
怨霊、幽霊、妖怪です。

怨霊は、崇徳院、菅原道真、平将門らが有名です。
志半ばで死んだ人の恨みです。
特徴は有名人で有ること。

崇徳院と聞いて今の若い人はピンとこないかも知れません。
百人一首をしている人は、「瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ」が有名かも知れません。
この歌は、落語にも使われており、「崇徳院」の名は有名です。

が、実際は、保元の乱で負け、讃岐に流された悲運の天皇でもあります。
しかし、流刑になった天皇は、かなりいます。しかし怨霊になった天皇は数少ない。
その一人が崇徳天皇、すなわち崇徳院です。

崇徳院は流配された讃岐国で仏教に深く傾倒して極楽往生を願い、五部大乗経(法華経・華厳経・涅槃経・大集経・大品般若経)の写本作りに専念したそうです。
戦死者の供養と反省の証にと、完成した五つの写本を京の寺に収めてほしいと朝廷に差し出したところ、後白河院は「呪詛が込められているのではないか」と疑ってこれを拒否し、写本を送り返しました。

当然怒りますよね。

崇徳院は、舌を噛み切って写本に「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」「この経を魔道に回向す」と血で書き込み、爪や髪を伸ばし続け夜叉のような姿になり、後に生きながら天狗になったと伝えられています。

それで崇徳院は讃岐の白峰に祭られます。
江戸時代の怪談本「雨月物語」の冒頭は、白峰。
崇徳院の怨霊話から幕を開けます。

ちなみに大政奉還された朝廷が一番最初にしたことは、崇徳院に京都にお帰り頂くこと。
トップに帰り咲いた朝廷は、「皇を取って民とし民を皇となさん」とした大怨霊をなだめるためです。

今は京都に祭られています。

 
幽霊は怨霊とは一寸と違います。
そうですね。
怨霊はウルトラマンの怪獣の様に大きな被害をもたらすとすると、幽霊は等身大。仮面ライダーの改造人間という気分かも知れません。

しかし、等身大の場合、現実感はヒシヒシきます。
幽霊の怖さは、今でいる「リア充」かも知れません。

 
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隠亡堀、戸板返しの画。
戸板をひっくり返すと小仏小平の死骸がある。


幽霊もいろいろいます。
飴買い幽霊などはかなりポピュラーなのですが、昔からの四大幽霊は、「番町皿屋敷」のお菊さん、「東海道四谷怪談」のお岩さん、「真景累ヶ淵」の累、そして「牡丹灯籠」のお露。
全員女性。全て江戸期以降。
実話が基になっているのがほとんどですが、かなり脚色されています。

ちなみに、牡丹灯籠の元ネタは中国。
三大幽霊話の場合、牡丹灯籠が外れます。

「番町皿屋敷」は浄瑠璃が、「東海道四谷怪談」は歌舞伎。そして、「真景累ヶ淵」「牡丹灯籠」は、落語の神様と言われる三代目 円朝がまとめ上げたと言われています。

 
中でも、江戸の化政期、四代 鶴屋南北が「東海道四谷怪談」は、素晴らしいでき。
講談にもなりましたし、現代でも、小説、映画、マンガ、アニメ、と何度となくリメイクされています。

 
日本で最も有名な幽霊と言ってもイイでしょう。

 
ここから数回に渡り、四谷怪談のあんなこと、こんなことを書いてみたいと思います。
よろしくお付き合い頂ければ幸いです。

2016年7月19日

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