思うこと

戦争遺産に見る日本とドイツの違い
出張時、3時間で「視点」を変えよう! その2
〜WEDGE Infinityより再掲載〜


唐突ですが、現在、日本でブランド認知が高い家電メーカーとして、英「ダイソン」が上げられます。いろいろな家電メーカーが、掃除機の進化はないとした時に、サイクロンシステムを引っさげて登場。世界を制覇したメーカーです。ダイソンの宣伝文句は、私が知る限り、一度も変わっていません。
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2015 IFA@ベルリンでの、ダイソンの立体パフォーマンス。
こんな時もダイソンの主張は変わらない。


「ダイソン、吸引力の変わらない、たった一つの掃除機」

××の一つ覚えと言ってもイイでしょうね。しかし、これにより、日本人は「吸引力」という言葉を覚え、ダイソンの掃除機を認知したのです。ダイソンの掃除機は、これを10年以上続けました。新規技術を入れても、最後は必ずこれで締めくくります。結果、現在、掃除機と言えば「ダイソン」と言われるほどのユーザー認知を得ています。
昔の広告はこのようなモノが多かったです。自分を覚えてもらうためですね。「明るいナショナル」「光る、光る東芝」「お正月を撮そう、富士カラーで撮そう」等々。認知は、よほど劇的なことがない限り、時間と共に形成されて行きます。繰り返し伝えるのはとても重要です。

 
■ベルリンの戦争遺産
私は常々、これと同じ事を日本の戦後処理で感じています。日本は太平洋戦争のポジショニングを明確にしていません。このため、「日本はこうなんだ」と連呼できません。多分、このあやふやな態度が、いつまでも「日本は十分な対応をしていない」と言われる所以でしょう。しかし、同様の敗戦国、しかもユダヤ人種絶滅まで掲げたドイツに対し、「対応が不十分」という国は、ないですね。どこが違うのか、滞在2日目の3時間を使い、ベルリンで確かめてみました。

 
■ソビエト戦勝記念碑 ブランデンブルグ門から西へ、6月17日通りが走っています。この通りには、映画「ベルリンの詩」で象徴的に映し出された戦勝記念塔(塔の上に金の勝利の女神ヴィクトリアが立っている)があるのでご存じの方も多いと思います。その間に「ソビエト戦勝記念碑」があります。

記念碑といっても、石の看板が1つ立っているわけではありません。ベルリンの中心部、かなり大きな敷地に戦車などのモニュメントが並んでいるのです。非常に「生々しい」碑です。

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入り口にある戦車の像。強烈なインパクトがある。


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敗戦国が、どれほど足蹴にされたか・・・。しかもエリアは旧西ベルリン!!


ベルリンの中に、ソビエトの飛び地があるような強烈な違和感に包まれます。いくら占領したからといっても程があります。少なくとも他国の首都にあるべきモノとは思いません。もしこれが東京にあったら、ソビエトがロシアになった瞬間、多少のお金を払って許可をもらい壊していたでしょうね。外国人の私が見ても、違和感ありありですからね。

 
■ベルリンの壁 ドキュメントセンター
第二次世界大戦でなく、冷戦時代の象徴とも言えるベルリンの壁。東ドイツの人民が西側に亡命できないように、ソ連が築いたものです。壁が存在した27年間の間、乗り越え、西ドイツに亡命した人、5000人以上。逮捕者、3000人以上、そして死亡者、192人。その壁が最もよく分かるということで、ベルリン中央駅から約2.5キロのBernauer通りにある「ベルリンの壁ドキュメントセンター」に行きました。

ベルリン中央駅の方から進むと、センター手前の公園から壁は始まります。この公園、一種の慰霊公園になっており、人の写真が飾ってあります。

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赤錆びた鉄板にはめ込まれた死者の写真。悪意が透けて見えそう。


そして巨大な十字架。瞬時になんともやりきれない気分になります。そして所々切れてはいますが、道沿いに高い壁。ジュラシックパークを囲む城壁のようです。その公園の向こうに、ドキュメントセンターがあります。資料も豊富なのですが、上が展望台になっており、当時の壁の様子が見られるのです。公園から続く壁が、ここでは完全な形で見ることができるのです。
上から見下ろすと、2つの高い壁に挟まれた、何もない砂漠のような幅10メートル程度のエリアに見張り台が見えます。民族を、人を、政治イデオロギーのために分断した場所です。リアルにそれを眺めていると、コミュニケーションが取れない状態は、「なんと不毛なのか」が身に染みてきます。

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不毛さがにじみ出る眺め。自由がないことの象徴。


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まさに塀の向こうは別世界。


ちなみに、今年のベルリンはイスラム系の人を見かけることが多くなりました。私が滞在中に、難民の第一弾は入国したのですが、これは分かりませんでした。このベルリンの壁を経験したら、コミュニケーションが取れるなら、取った方がベターという気持ちになるのではないでしょうか?

 
■虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑
2005年に出来上がった慰霊碑です。場所は、ブランデンブルグ門とポツダム広場の間です。日本で例えると、皇居と銀座の間、有楽町に巨大な慰霊碑ができたとイメージして頂ければと思います。もともとベルリンの壁があったところですが、商業エリアとしても一等地であることは確かです。敷地1万9000平方メートル。2711本のコンクリートの碑(棺)が、不気味に存在します。東京ドームのグランドの面積が、1万3000平方メートル。それ以上の面積を一等地で使い、この石の碑が並ぶわけですから、それはスゴイです。
しかもこの碑、ランダムに高さが違うため、音楽でいうと不協和音が跳ね回っている感じがします。

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都会も不毛に感じられるが、それよりも尚・・・。


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ちょっと芸術写真的に・・・。東京で言えば、丸の内にある様なもの。


この碑の対象はヨーロッパのユダヤ人に限定されていますが、600万人〜1000万人。未だに正確な実数は不明らしいです。10分くらい中を歩きましたが、感想は「空」しいの一言です。人の命の儚さ、終わりがあることが寂しく、それを一方的に奪う人がいることが寂しく、なんとなく空しいのです。

 
■ベルリンは戦争痕跡をリアルに確認できる
ベルリン中央駅を起点に、ブランデンブルグ門、もしくはポツダム広場を終点にすると、この3つを歩いて廻って約3時間です。全て東京で言うと一等地です。日本だと「碑」を建てて終わり、よくても博物館にモノを入れて終わりですが、ベルリンは野外、しかもリアルですから、インパクトは痛烈です。

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ポツダム広場のベルリンの壁。完全に観光地化されているので、雰囲気がよく伝わってこない。


しかも、この3つ対象が別々なのです。ソビエト戦勝記念碑は、第二次世界大戦の敗戦。ベルリンの壁は、冷戦。 ホロコースト記念碑は、ユダヤ人。これは見方を変えると、ドイツは自分たちが仕掛けた戦争(ナチスは正統な選挙により、国民が選んだ政党です)を、追体験する環境にあると言えます。今回は、3時間で巡ることができるということで、3つとしましたが、これ以外にもユダヤ人に関する碑、戦争に関する碑、冷戦に関する碑は大量にあります。多分、ドイツが周りから、戦争責任を問われにくいのは、このような姿勢があるからではないでしょうか?

しかも、あるのが首都ベルリンの一等地。そして、ホロコースト慰霊碑は、2005年ですから、21世紀に新たに作ったわけです。ドイツは未だに、戦争の意味を問い続けているのが感じられます。

 
■つながりを断たれたユーザーはそのメーカーを見限る あるいは日本に欠けていること
同じような感触を家電で持ったことがあります。シャープのピュア・オーディオの話です。多くの人はシャープがピュア・オーディオをしていたなんて知りませんよね。昔の話ではありません。2000年代の話です。個人的な思い出ではありますが、1998年の1ビットデジタルアンプの音は、あまりにもスゴすぎて、未だに耳に残っているほどです。

当時、いろいろな人にシャープの話をしてみました。多くの人は、「シャープはスゴい」との解答でしたが、一人「シャープはメーカーとして良くない」という方がいました。理由は「ユーザーを見ていない」からです。実際、シャープは、約10年で、このピュア・オーディオを止めてしまいました。シャープを信じ購入したユーザーはどんな気持ちだったのでしょうか?

趣味とはいえ、10万円以上する機器を購入したのですから、メーカーとのつながりが切れるのは心持ちが悪いわけです。継続性があり、それを裏切らないということは、重要なことです。他の製品はともかく、再度シャープがオーディオ製品を出しても買う気にはなりません。この事例と同じように、ドイツのアピールに対し、日本の戦争に関するアピールは、継続性に欠ける。私は、そんな感じがするのです。

首都の一等地に戦争遺産を残し、継続してメッセージを発し続けるドイツと、内閣ごとに考えが異なる日本。日本が諸外国の支持を受けるなら、「継続」は非常に大切です。それは国だけでなく、法人であるメーカーも重要なことです。常にアピールし続ける。これが、今の日本には欠けているように思います。

注)この記事は、2015年10月12日に、WEDGE Infinityに投稿した記事を、WEDGE Infinity様のご厚意により、再掲載したモノです。

 

2015年11月30日

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