国立競技場に見る 日本とドイツの違い
出張時、3時間で「視点」を変えよう! その1
〜WEDGE Infinityより再掲載〜
政治家は「視察」として、海外に学びに行きます。「時には、何をしているのやら?」という話もでますが、いろいろものを見聞、新しい視点を得るのは重要なことです。サラリーマンもそうですね。見聞広めるのはよいことです。
ただ最近は、国内、海外を問わず出張には厳しくなりました。用を済ませたらすぐ帰れというわけです。そういうわけですが、最大3時間位でしたら、なんとかなりそうです。
という屁理屈を付け、ベルリンで3時間くらいで、その地だからできることを、いろいろしてみました。
まずは国立競技場問題を考えるために、ベルリン・オリンピックスタジアムに足を伸ばしてみました。
■ベルリンの設計
ベルリンは、歴史的には軍事都市として建設されました。
東西ドイツ統一の象徴と言われるブランデンブルグ門から東に延びるウンター・デン・リンデンと、ブランデンブルグ門を通過はしていなのですが、ウンター・デン・リンデンと垂直に交わる南北に走るフリードリッヒ通り。これがベルリンにおける基本の「通り」になります。
そのウンター・デン・リンデンに対し、蛇行しながらも平行に流れるシュプレヒ川、そしてSバーン(高架を走る私鉄)が通ります。Sバーンは、いくつも路線があるのですが、その中の1つは「リング」と呼ばれる環状線でベルリンの市街地を廻ります。ようするに山手線と中央線(シュプレヒ川沿いが中央線)の交通網を作り出します。
この環状線のSバーンから、1つ西(外側)に行くとメッセベルリン(IFAの会場)、そして、あと2駅西に行くとベルリン・オリンピックスタジアムがあります。オリンピック・スタジアムまではベルリン中央駅から、乗り換えなしで、約30分。非常に交通の便がイイ所です。
■ベルリンオリンピックスタジアムはナチスの遺産
ベルリンオリンピックスタジアムは、1936年のベルリンオリンピックのために建設されました。
作ったのは、1933年に政権を握ったナチス党。党首はあのヒットラーです。
1000年帝国を目指したナチスヒットラーは、1933年にベルリンを世界首都「ゲルマニア」にする計画をしています。オリンピックスタジアムは、その計画の一部です。現地に着くと圧倒されるのは、敷地です。使われていないエリアが広い。1000年経つと、人口も当然増えますし、想定外などはある話と考えたのでしょう。その時、余地があるのとないのとで大きな差がでます。
東京の国立競技場のようにキチキチだと、どうしようもありませんが、これだけ余地があれば、いろいろな対応が可能です。
次は、交通網です。ポイントは終了時。来る時ではありません。
終了時は一気に人が動きますから、この人数をさばく能力が必要です。先ほど述べたSバーンですが、なんと8ホームあります。臨機応変なスケジュールを組めば、かなりの人数をこなすことができます。出入口も、臨時用のモノをしっかり持っています。駅からスタジアムまでの道もかなり広い。2列で歩くのではなく、そうですね、6人で話しながら歩いても問題ないレベルです。
今の説明はSバーンの話ですが、スタジアムの逆側にはUバーン(地下鉄)もあります。さらにいうと、先ほどのブランデンブルグ門、ウンター・デン・リンデンに、このスタジアム横から直線道路が延びています。これもナチスの遺産ですね。東西大道路です。アップダウンがあまりないので、自転車も使えます。敷地が大きいので、駐車場、駐輪場に困ることもないでしょうし、試合、競技の興奮冷めやらぬ人々がちょっとたむろしてもどうってことない。
国立競技場とはえらく違います。
■お金の話
この古代の競技場を模したスタジアムは、1934〜1936年の建築。4200万マルクかかったそうです。
強引ですが、円に換算してみましょう。当時、100マルク=40ドルですから、1680万ドル。当時の円で1ドルは、140円なので、23.5億円。ちなみに1936年の日本の国家予算額は1936年の時点で、22億8210万円。
当時の100円は、現在の64万円(物価指数より算出)に当たりますので、1504兆円。
戦争時の経済というモノを正確に把握していなのですが、正直全く実感がわきません!
しかしドイツ経済を完全復興させた人気絶頂のナチスの時代。しかも1000年王国ですからね。建物一つに、東洋の島国の国家予算ですか……。
ドイツは2度W杯を開催していますが、決勝は必ずここです。ナポレオンはエジプトで戦った時、ピラミッドを指さし「歴史が我々の戦いを見ている」と言いましたが、オリンピックに、W杯2回のスタジアムはここ以外にないと思います。まさに、歴史です。
さて、元がスゴイだけに、W杯の時の改修費もかかっています。
2004年にW杯のために改修していますが、2億4200万ユーロ。1ユーロ、134円ですから、324.3億円。1000年の計で作るとお金はかかります。が、数年ではなく、100年、1000年の目でみるとどうでしょうか?
政治家は、100年の計という言葉を使います。しかし、100年の計を立てるには、200年先のことも分かっていなければなりません。
実際はどうでしょうか?
目の前のことを目の前で判断しているに過ぎない。50年後には元の木阿弥か。そんな気持ちになりますね。
ちなみに、ベルリンオリンピックスタジアム。取り壊すことは多分無理でしょうね。取り壊し費用が膨大ですから。手を入れて使った方がイイという判断なのかも知れません。
■名前と形を継ぐ日本の文化
ここまで書いた時、一つひらめくことがありました。それは日本に古い建物は極めて少ないということです。
「メガロポリス東京」と書きましたが、この東京が焼け野原になってないのは、ここ戦後の歴史です。江戸時代、大火と呼ばれるものは、267年で49回。実に5〜6年/回。生涯で、約10回火事で焼け出される計算になります。
そして、明治以降で、2回焼け野原になっています。関東大震災と、東京大空襲ですね。つまり1945年まで、東京は何度となく災害(含人災)にみまわれ、木造建築も多く、何度となく「新しく」作り変えられてきたと言えます。
では、日本の伝統建築とは何でしょうか?
それは、伊勢神宮、出雲大社が示していると思います。
数十年に一度、「名」と「形」が同じモノを建て替えることです。還暦の赤いちゃんちゃんこも同じですね。60年で干支が一巡り。生まれたての赤ちゃんに戻り、元気で過ごすように、となります。
多分これが、日本の伝統、文化の守り方なのです。言霊信仰、そして日本人は形から入ると言われますが、災害国家日本だからこそ、遺産をそのまま残すのではなく、遺産を継承するわけです。
この視点から見ると、ドイツとの差も見えてきます。ユーラシア大陸は旧大陸であり、ほとんど地震がありませんからね。継承より、そのまま残し、手入れをし、使う方が効率がイイというわけです。
また、イベントの考え方も。日本のメジャーイベントは、お祭りです。この祭、基本「道」で行います。練り歩く。これが日本のエンターテイメントのスタイルの一つの形です。ようするにエリア全体、全員参加と言えます。
人が出かけて行くのではなく、向こうから来る形のエンターテイメントです。江戸期は、自宅前の縁台を飾り、見たりして楽しんだそうです。これだと、祭で練り歩いている方も楽しめます。「お・も・て・な・し」です。
しかし、今のイベントは集約型ですから、土地のない日本は辛いわけです。
■日本流国立競技場
そう考えると、割りと答えは見えます。
60年に1度ですから、建てやすく、壊しやすくがコンセプトの1つです。
箱物ですから、これに管理しやすいこと。動線は確保できないのですから、人数は欲張らないこと。一番手っ取り早いのは、外観は今までの国立競技場。設備に少々お金を掛けるモデルですかね。
そして、名と形を継いだということで、その地で、幾多のスポーツの歴史があったことを刻み込むわけです。
現代オリンピックは世界的な大イベントですから、エリアを区切り、全部ホコ天にし、アジア名物の屋台を並べるわけです。多分、海外の人には、お・も・て・な・しの1つに見えると思います。
1つ1つが小さい導線は、30分待ってもらうのではなく、30分歩いてもらうのです。
海外を歩くのはなかなか無い体験の1つ、面白がってもらえると思います。そうすると、1つ1つは小さいですが、網の目に張られた東京の交通網が生きて来ます。こうして日本独自の「伝統」「道」と「お祭り」を入れるわけです。
日本人に取っては当たり前の感じですが、大上段に振りかぶるよりも、確実、しかも後で使える形になると思います。
注)当原稿は、2015年9月19日に、WEDGE Infinity、家電口論に投稿した記事を、WEDGE Infinity様のご厚意で、一部修正、再掲載したものです
2015年11月24日