ミーレ訪問記03 洗濯機の進化をビジュアルで見る
ミーレの博物館で、彼らの主要モデルを年代別に見せてもらいました。
また、IFAの会場では、パナソニックが自社の洗濯機の歩みをモデルで展示していました。つなげて、洗濯機の進化を見てみましょう。
1899年(明治32年)
・ミーレ創業。初めての製品は、ミルク分離機
1900年代
・木桶の洗濯機。
内、「ヘラ」と名付けられた製品(1902年発売)が、よく売れたそう。
ヘラとはギリシア神話で、神々の長、ゼウスの嫁さん。結婚と出産をつかさどり既婚女性(家庭生活)の守護神。ただし嫉妬深く、浮気者のゼウスはかなり手を焼いたらしい。
このころロゴマークは紋章が用いられていた。ポルシェ(シュトゥットガルト市の紋章他)、アルファロメオ(ヴィスコンティ家の紋章他)なども同じ。
1910年代
木製洗濯機の改良、及び量産化が行われます。
このモデル No.29は、商品寿命が長く、1910〜1953(43年間)もあります。
1912年には、クルマの開発、生産も行っています。このクルマを捨てて、白物家電に集中したわけですから、スゴいモノです。
尚、1914年〜1918年は第一次世界大戦。
大戦末期、ドイツの工業生産は1913年に比べて53パーセント落ちていた。
ちなみに、ドイツの賠償金は、1,320億金マルク当時は金に買えることが可能でした。今の日本円にすると、203兆1062億円。
1920年代
当然、景気は非常に厳しいところからスタート。
段々、好景気になるも、1929年には大恐慌が起こり、経済は大パニックに陥る。図は、1923年のポスター。ローラーの搾り器。
また、洗濯機の人力で動かす部分を、モーターに変えたモノなどを発売。家庭用と言うより、プロ用(含コインランドリー)ですね。こちらも1923年発売のモデルNo.50。
1930年代
モデルNo.100(1930-35)。初めての金属槽の洗濯機。
1933年、ドイツ ナチス党が政権を奪取。
以降、第二次世界大戦への歩みが始まる。
1939年、第二次世界大戦勃発。
メタル槽、エナメル塗りの洗濯機。
No.100の発展型。1980年代の全自動洗濯機に近いイメージがある。
1940年代
第二次世界大戦。有用な技術、資源は全て軍事に。
当然、鉄は贅沢品。木製の洗濯機は重宝されました。
ミレーは、木を利用した手押し車なども販売。戦争を乗り切ります。
1945年、終戦を迎えるも、ドイツは東西分割で占領される。
ちなみにミーレは西側にあった。
男手が足らないため、女性の社会進出が促される。
1950年代
1951年、木製洗濯機最後のモデルNo.35発売。最終生産は、1966年のこと。ドイツは物持ちがイイと言いますが、それにしてもスゴい!
1952年、日本でいう縦形洗濯機発売。しかし、以降ドラム型に変更される。
1958年、名機:No.505。呆れるほど完成度が高い。1964年まで生産。
以降、ミーレは余りデザインを変えていませんので、パナソニックにバトンタッチ。(ミーレが進化していないという意味ではありません。ご承知ください。)
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1951年 パナソニック初の洗濯機。
1957年
パナソニックの洗濯機の歴史は戦後から。それを考えると、戦前、日本は非常に貧しかったことがわかります。(不幸であったかは別)
戦争は国力の争いと言われますが、太平洋戦争の勝ち目は、ほとんどないことがわかりますね。
1960年代
縦形に二槽式がでます。脱水が電動でできる様にした縦形モデルです。
1970年代
全自動になり、ふたたび一槽式に。形式の違いはありますが、基本ドラム型に追いつきます。
1980年代
バブル景気。技術はある種飽和状態。緑色で新しさを強調しています。
1990年代
「曖昧」を意味する「ファジィ」理論をコンピュータ制御に応用した洗濯機。布量、汚れの質と量、洗剤の種類をセンサーで見分けて、数百通りの洗濯方法から適した洗い方を選び洗濯します。今は全て、この方式です。
2000年代
ドラム式、作ってしまいました。
こうしてみると、戦争がないということは、非常に富んでいる状態であることが分かりますね。少なくとも資源不足はありません。
また1990年以降、白物家電は機械だけでなく、ある種の頭脳を持ったことが分かると思います。今、話題のAI(人工知能)はこれを推し進めた形。洗濯機の情報をクラウドに集め、大型のコンピューターで処理、ベストの方法を見いだします。数百と書いた方法も増えるでしょうし、より確かな効果(より汚れを落とし、衣類を傷めない)な期待できます。
2016年9月23日