創業期、ミルク分離機、洗濯機で波に乗ったミーレ。
次に手がけたのが、モペット、クルマの類でした。上の2つもこの当時は家電ではなく、単なる「機械」ですからね。
そこでミーレの考え方が大きく出てきます。


シャーシは金属、内装は木と革。いろいろな技術の複合体。

エンジン。プラグの位置から、直列四気筒エンジンと判別。
このクラシックカー見てください。
四気筒エンジンも綺麗なレイアウトですし、シャーシもきれい。
映画の「チキ・チキ・バン・バン発明家のボッシュが、息子と娘が好きなクルマの残骸から組み上げたスーパーカー。走るのも速いが、水上走行も空中飛行も可能。エンジンの音が、チキ・チキ・バン・バンと聞こえる所から、この名が付いた。」の優雅さがあります。
で、売れたそうです。
しかし、彼らはそれ以降、クルマは作らなかったそうです。
理由は、クルマを始めると、資本を銀行から借りなければならない。それがイヤだったから、だそうです。

フロント、エンブレム部。

実は、このエピソード、私の心の中で、何か誤りじゃないのかとずっと引っ掛かっていました。
しかし、今回創業家のツィンカン氏にインタビューする機会があり、この人の祖先ならあるのでは、と妙に納得してしまいました。
知性豊かな教養人であると共に、理路整然。そして鉄の意志を感じさせる人でした。
日本では、絶滅した感じの人です。
ちなみに、クルマの隣にあったのは、大量のモペット。
クルマと違い安くできるからでしょうか。
こちらは頑張られたようです。


電動アシスト自転車で復活させてもらいたいようなデザイン。

正直、一台欲しいですね。

ロゴが流麗かつ優雅。
ちなみに、このクルマ、ミーレ・ミュージアム創設時に、懸賞を掛けて見つけ出したものだそうです。
譲ってくれたのは、スウェーデンの人だとか。

「ミーレの自動車探しています」の手配書。
賞金は、5,000DMとある。
日本でも、昔は「旧家」という蔵を持っている古臭いけど頼れる所がありました。
ヨーロッパは、そんな旧家的な雰囲気もありますので、そんな感じの所から入手したのでしょうかね。
話を元に戻します。
もし、自動車に手を出していたら、多分洗濯機は止めたのではないでしょうか?
しかし自動車ビジネスに参加していたら、激戦区ですからね、今、会社がなかったかも知れないわけで、歴史的には正しい選択だったのだと思います。
しかし、スゴい判断だったと思います。
⇒ to be continued
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