ミーレ訪問記01 創業時のこと
今年、IFAの取材の前に、ドイツ、ミーレ社が、工場他見学させてくれるというので、ギュータスロー(ミーレの本社がある地)まで足をのばしました。そこで見聞きしたことを、レポートしてみます。
ミーレのある場所、ギュータスロー。日本人には、まず知られていない名前ですね。
ドイツの大都市、デュセルドルフから東北東に、アウトバーンを走らせること、約一時間半。ギュータスローに辿り着きます。
トウモロコシ畑と森に囲まれた「村」、ギュータスローは絵に描いたような農村風景の中に、ほんの少しの街並。そしてミーレの本社があります。
ギュータスローの街並み
■本社の1Fは、ミュージアムに、ショールーム
最近、日本のメーカーもミュージアムを作るようになりましたが、2000年前後まで、日本のメーカーの多くは、ミュージアムを持ちませんでした。社史は編纂するのですが、実物を残さない。それが一般的でした。
100年以上も歴史のあるミーレの様な会社が、初代機を全部揃えて展示する等と言うことは、まぁありませんでした。
が、ミーレ博物館はそれが揃っているのです。
それは分厚いカタログより、分厚い社史より、雄弁にミーレとは何かを語ります。
これがお客様が、従業員が必ず通る1Fにあると言うことは、非常に有意義なものでした。
■ミーレの第一号機 ミルク分離機の勝因
ミーレの創業は、1899年。明治32年のこと。
ミーレの一号機は、ミルク分離機でした。
脂肪分を分離させる機械です。
手動ですが、遠心分離の技術、弾み車の技術が応用されており、一度回り始めると、人間が回さなくても、かなり回ってくれる代物でした。
回転数は、2000回転/分。当時としては、かなりの高スピードです。
話に聞いていたストーリーですが、びっくりしたのは、当時この地方には同じモノを作る会社が31社あったことです。
後参入もイイところ。
ところが、品質の良さで、この商品は売れ、会社の基礎ができるのです。
聞いてみたところ、創業者は、他社の製品を見て、これなら自分の方がもっとイイモノができると考え参入したそうです。
つまり技術を武器に、初戦を勝ち上がったわけです。
その時、もう一つ思ったそうです。
「ドイツは人件費が高い。安く勝負することはできない。品質で勝負しよう。」
ここから、ミーレが未だに標榜する「より良いモノ」という姿勢が出てきます。
ドイツ人は我慢強いですからね。
未だに守り続けています。
■初代洗濯機は木製、手動
そして、次に手がけたのは、家事で最も手間がかかる洗濯機の開発でした。
これが製品です。
横に棒が付いていて、これを動かすのではと思いますが、動きの検討が付きません。
しかし、実物を動かしてもらい得心が行きました。
回転なのですが、短い反復運動だったのです。
改良版は腕の動きではなく、鉄球を使います。鉄球は、振り子の重りです。重りに一回力を入れると数回回すことができます。、手を少し休める時間ができます。
■触ると分かる品質の良さ
今でいう外枠と洗濯槽を兼ねる樽ですが、触るとツヤツヤしていますし、フタなどは平面度が気持ち位ほど出ており、手に吸い付くよう。3年寝かせた樫の木で胴を作り、底はパインで作っていたとのこと。
逆に言うと、木が多い田舎でないと、成り立たないわけです。
ギュータスローという田舎だからこそ、できたという言い方もできます。
金属部分の動きは滑らかで、頑丈。
効率はともかく、壊れませんね。
■木の洗濯機の相場
1910年(明治43年)で、この木の洗濯機は、65独マルクしたそうです。
その時、1週間に55時間(6日勤務で、平均9時間)で得られる給金は90マルク。
そうカラーテレビの様に、初任給の何年分とかいうことはありません。
実は、この洗濯機の相場は今でも割と合っています。
(日本の場合、ボーナスの割合が欧米より遥かに高い。このため、年收から計算しないと合いません。また、あくまでも「洗濯機」であり、洗濯乾燥機などではありません。)
ここから洗濯機の歴史が始まるのですが、さて、それは次回に致しましょう。
⇒to be continued
2016年9月3日
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